書学書道史学会の紹介/会員研究動向〈平成20年度〉

会員研究動向〈平成二十年度〉

監修 浦野俊則 鈴木晴彦
執筆 下田章平 橋本貴朗 青山浩之

(凡例)
一、
各研究は、①総記、②中国書道史関連、③日本書道史関連、④書写書道教育関連の四領域に分けて紹介する。①②は下田、③は橋本、④は青山が執筆、役員から浦野監事、鈴木常任理事が監修に当たった。
二、
各領域では、前年度に倣い、執筆者の判断で更に細目を設け、個々の研究の系統化を図った。
三、
紹介研究は、昨年度(二〇〇八年四月〜二〇〇九年三月)に公刊された著書(学術書)および論文(学術誌、紀要、論文集、各種研究報告書等に掲載されたもの。ただし、『書学書道史研究』十七号所収論文を除く)を中心とした。これらは、監修者・紹介(執筆)者の判断で掲載するものであり、掲載に際し当該著者の了解を逐一得ていないが、ご諒解いただきたい。なお、紹介研究は、書道に関連する文学、史学、美術史、文字学、文献学等をテーマとしたものも取り上げている。
例年のように、遺漏が多々あるかと思われる。ご容赦のうえ、ご批正を賜りたい。各位には巻末を参照のうえ、自身の研究の申告をお願い申し上げる次第である。

一、総記

日中書道史の両面にわたるものとして、杉村邦彦『書学叢考』(研文出版)が見られた。「中国書法史研究」「近代日中書法交流史研究」「先師・先学」の三部からなり、一部の論考に「附記」「補説」などを加える。詳しくは本号菅野氏書評参照。
また、米国に所蔵された日中書跡の資料集成を試みたものに、河内利治・安達直哉「平成二〇年度科学研究費補助金「基盤研究B〈海外学術調査〉研究報告—研究課題:アメリカ収蔵「書跡」の基礎データ収集と整理のための調査研究」(大東文化大学書道研究所『大東書道研究』一六号)が見られた。標記研究課題の初年度の報告書であり、ボストン、ワシントンDC、シアトルの公私にわたる日中書跡コレクションの調査をもとに作成された「基礎データ台帳」を収録する。
朝鮮絵画に関しては、板倉聖哲「絵画史における明宗朝—契会図と王室発願仏画を中心に—」(『アジア遊学』一二〇号)が見られる。契会図と王室発願仏画から官僚の集いや宮廷の願いの形象化について考察したものであり、特に制作背景が書かれた画題の分析は朝鮮書道史にも関係するものである。
コンピュータの画像処理ソフトを用いた筆跡鑑定に関しては、以下が見られる。和田彩・青木務「墨文字の墨色に関する研究—画像処理ソフトによる分析Ⅰ」(『日本インテリア学会論文報告集』一八号)は、スキャナと画像編集ソフトを用いた測色法により、人間が墨色から受けるイメージである「視覚的特性」と墨色の「物質的特性」に相関があることを指摘したものである。同「墨文字の墨色に関する研究Ⅱ—画像処理ソフトによる分析Ⅰ」(『日本インテリア学会論文報告集』一九号)は、前稿の続編。デジタル画像による色情報の精確性を検証し、特に明るさと濃さの相関に起因する墨色の「透明感」をインク及び紙の地色に見出して、指標化したものである。和田彩「筆墨書跡のコンピュータ分析」(神戸大学表現文化研究会『表現文化研究』八巻二号)は、コンピュータ画像編集ソフト・フォトショップの濃度分布測定機能を利用して、筆で書かれた筆跡の筆圧、筆勢、線の重なり、筆づかいなどの視覚化を試みたものである。
このほかに、以下のものが見られた。亀澤孝幸「書学研究序説—ことば・文字・書」(大東文化大学大学院書道学専攻『書道学論集』六号)は、文献をもとに東西文化両面から人間とことばや文字との関わりについて述べ、あわせて政治性と人間性の相剋に書の芸術性の発露や生成の要因を捉えようとするものである。八木一絵「書体の成立とその記号論的解釈について」(上掲『書道学論集』六号)は、記号論におけるイコン・インデックス・シンボルという各概念の対応関係をもとに、古文・篆書・隷書・草書・行書・楷書の六書体の成立について論及するものである。

二、中国書道史関連

(一)総記
主に六朝から唐までの書画論を扱ったものに、興膳宏『中国文学理論研究集成』全二巻(清文堂出版)がある。第一巻『新版中国の文学理論』は筑摩書房版(一九八八)の新装本、第二巻『中国文学理論の展開』は前巻以後の論考を集成したものであり、ともに書画論に関する論考を含む。
中国書法史の通史に関わるものとしては、西林昭一「中国の書の歴史—展示作品を主として—」(展覧会図録『北京故宮書の名宝展』毎日新聞社・NHK・NHKプロモーション)が見られた。標記展覧会の総論にあたるものであり、出陳された作品を踏まえつつ、唐の太宗から清末民国の呉昌碩までの書の時代背景と、それに関わる種々相を概述したものである。
(二)先秦〜漢
甲骨文から金文を扱うものには、以下が見られた。角田健一「西周金文における異形文字の考察」(上掲『書道学論集』六号)は、「異形文字」を定義してその数量と分布時期を確認し、出現の要因を文字の確定性、制作過程、俗体と正体、構造に見る美意識の観点から実例をもとに考察したものである。林稔「文字論—書道より見た「戊」字の一考察—」(盛岡大学日本文学会『日本文学会誌』二一号)は、「戊」字及び「戈」「戉」「戍」「戌」「成」の各字を中心に、『説文解字』等の字形や字義の解釈から「戊」「戌」の二字が干支に用いられた背景について指摘する。
戦国期の上海楚簡を取り上げたものには、福田哲之「別筆と篇題—『上博(六)』所収楚王故事四章の編成—」(大阪大学中国哲学研究室『中国研究集刊』四七号)が見られた。『平王問鄭寿』と『平王与王子木』の編聯問題について竹簡の形制および字体から分析し、両者が連写され首尾完全な形で復原できる二章であることを解明したものである。
漢碑については、萩信雄「開通褒斜道刻石考釈」(『書法漢学研究』三号)が見られた。標記刻石の拓本について知見を述べた三論考を紹介した上でそれらに見えない改刻の事例を指摘し、また郭栄章氏の改刻否定説について新旧拓本の比較からこれに反駁する。
また、石刻に付随する図像に関しては、小川博章「西狹頌五瑞図札記」(淑徳大学書学文化センター『書学文化』一〇号)が見られた。標記図の瑞祥に関する文献的な考察に加え、漢代画像石との比較から標記図を漢代瑞祥の基準作と捉え、また単純化された図の構成に人々への教示的な性格を見出している。
『説文解字』に関しては、萩庭勇「説文解字伝—王(おう)・王(ぎょく)混淆—」(『大東文化大学漢学会誌』四八号)が見られた。標題の「伝」は「春秋三伝」と同じく「解釈」の意である。身近にある望文生義の例を挙げた上で、標記の事例もそれにあたると捉えて文献を手がかりに検討したものである。
(三)三国・晋・南北朝
呉簡については、渡邉明「走馬楼出土三国呉簡における字形上の特徴とその位置づけ」(『上越教育大学国語研究』二三号)が見られた。標記呉簡の字形の特徴を「書きやすさ」、「造形的な美」の二観点から論及したものであり、書学書道史学会第一七回大会(二〇〇六)における同氏の発表に基づいている。
鍾に関しては、大橋修一「鍾書の実相—新出の東牌楼後漢簡牘を手がかりとして—」(『書法漢学研究』四号)が見られた。法帖に見られる鍾「薦季直表」を新出の「東牌楼後漢簡牘」と比較して彼の早期の書とし、同じく「宣示表」を「走馬楼呉簡」と比較して彼の晩期の書に推定している。
王羲之に関しては、以下が見られた。杉村邦彦「王羲之「遊目帖」考」(『書論』三六号)は、昨年度刊行の完全復元本『王羲之遊目帖』(二玄社・文物出版社)の別冊附録である同氏の「解説・釈文」を増補改訂したものである。富田淳「王羲之傑作の残影〜蘭亭八柱第三本(馮承素本)に寄せて〜」(上掲『北京故宮書の名宝展』)は、「蘭亭序」の書かれた経緯や末、乾隆帝の蘭亭愛好について概述した上で、馮承素本の伝来について本紙に押された鑑蔵印や、巻後に記された跋文によって検討している。松村定男「王羲之と蘭亭序」(『立正大学文学部論叢』一二八号)は、王羲之の伝記や「蘭亭序」の諸本及びそれに関連する書論について概述し、また中高で用いられる各社の教科書に採録された「蘭亭序」の諸本についても言及する。
北朝の墓誌銘・墓磚については、以下が見られた。澤田雅弘「偽刻墓誌考—(北魏)張君夫人李淑真墓誌・(陳)到仲挙墓誌—」(上掲『書学文化』一〇号)は、前者を「偽刻家X」の作偽でその活動時期を知る資料、後者を「陳墓誌」との関連から同碑工、同工房の作偽と推察しうる資料と捉え、墓誌の偽造様態の一端を解明する。田熊信之「新出土北朝刻字資料瞥見—東魏・北斉期の墓誌、墓磚—」(昭和女子大学『学苑』日本文学紀要 八一九号)は、近郊から近時出土した「辛匡墓誌」「潘達墓誌」「瑤光寺尼法師恵義墓磚」「高買女墓磚」「孫世雄妻馬墓磚」について翻刻し、史的な考察を加えたものである。東賢司「北朝魏墓誌における基準例画定の試み—『干禄字書』を利用して—」(全国大学書道学会『大学書道研究』二号)は、『干禄字書』に見える正・俗・通の字体の分類をもとに北魏から東魏・西魏までの時期の墓誌の字例と照合し、当該期における標準字体の解明を試みたものである。
主に六朝写経を取り上げたものに、中村薫「六朝写経に見る落款の起源」(上掲『書道学論集』六号)が見られた。「落款」の語について概述し、写経・碑・墓誌銘の実例からその起源を六朝期と見通し、あわせて上記の実例に見える「写」「書」「記」について見解を述べたものである。
(四)隋・唐・宋・元
隋代の墓誌銘に関しては、澤田雅弘「隋代墓誌の刻について—張盈墓誌と夫人蕭氏墓誌—」(上掲『大東書道研究』一六号)が見られた。同日葬の標記の夫婦墓誌における書者や刻法の分布について考察し、源を異にする刻法体得者が一誌の鐫刻を分業する状況から、当時の墓誌鐫刻の慣習を検討したものである。
唐代の伝世草書作品については、以下が見られた。下田章平「法帖所載の張旭の草書に関する一考察」(筑波大学大学院人間総合科学研究科芸術学研究室『芸叢』二五号)は、標記作品の伝来や書跡などを検討し、「晩復帖」「十五日帖」及び米臨「秋深帖」(「張季明帖」の部分)を張旭の草書の実態を窺う上で参考となる作品と捉えている。同「懐素「食魚帖」に関する一考察」(筑波大学大学院人間総合科学研究科『芸術学研究』一三号)は、標記作品の本文、伝来、書跡の分析を通じて、北宋期に制作された臨本であることを提起し、また別本である郁氏本・李氏本・北京市文物商店蔵本の存在を指摘する。同「懐素「草書千字文」の真偽に関する一考察①」(『創玄』一〇二号)は、標記作品の真偽の検討の一環として、安世鳳・翁同文の偽作説、啓功の宋人筆写説、孫承沢の宋人臨本説といった既往研究の妥当性について検証したものである。同「法帖所載の懐素の草書について」(筑波大学人間総合科学研究科書研究室『書芸術研究』二号)は、容庚編『叢帖目』をもとに標記作品の伝来や書跡などについて考察し、従来偽作説も見られた「右軍帖」を懐素の草書の実態を見る上で参考となる作品と見通すものである。同「歴代の文献より見た高閑の草書について」(『中国文化—研究と教育—』六六号)は、高閑の草書及び草書作品について論じられた文献と、「草書千字文」や法帖に見える彼の伝存作品を総合的に考察し、その草書の実態について検討したものである。
(五)明・清・近現代
明代では、法帖研究について以下が見られた。増田知之「明代法帖刊行與蘇州文氏一族」(『書法叢刊』総第一〇八期、二〇〇九年第二期)は、同「明代における法帖の刊行と蘇州文氏一族」(『東洋史研究』六二巻一号、二〇〇三)と同旨である。同「董其昌の法帖刊行事業に見る権威確立への構想」(『史林』九一巻五号)は、主に松江董氏一族で刊行された董其昌の専帖の量産とその贋作の氾濫、また徽州商人とともに刊行した集帖の考察によって、董其昌の権威確立の過程を解明している。同「王鐸の専帖に刻されたその尺牘」(上掲『書論』三六号)は、王鐸の専帖が弐臣「文人サークル」のもとで成り、また尺牘が集刻された事情を「尺牘集」の刊行意図と同旨に捉え、書法的側面よりはむしろその内容面を重視した結果と見る。
華夏の収蔵については、富田淳「真賞斎コレクション」(上掲『北京故宮書の名宝展』)が見られる。特に華夏の収蔵のなかで「万歳通天進帖」や「淳化閣帖」祖刻本について取り上げてその収蔵に至る経緯を概述し、また「真賞斎帖」の火前本と火後本についても言及する。
董其昌の書論に関しては、以下が見られる。尾川明穂「董其昌筆「行書論書画法巻」について」(上掲『芸術学研究』一三号)は、標記作品の真偽を多角的に検討して真跡と推定し、ここから後人の編纂による『画禅室随筆』では窺うことのできない、董其昌早年の書法観について考察したものである。弓野隆之「董其昌の語った書」(上掲『北京故宮書の名宝展』)は、董其昌の『容台別集』や『画禅室随筆』をもとに彼の学書の過程を確認し、また彼の書画の鑑賞、用筆論や技法論、学書の対象やその姿勢などについても指摘している。
王鐸の書法については、加茂奈々子「王鐸の臨書に関する一考察—長条幅作品の帖の選択方法を中心に—」(上掲『書芸術研究』二号)が見られた。標記作品で比較的多く現存する「淳化閣帖」の臨書に着目し、特に王鐸の過眼した原帖と臨書時期の異なった同一箇所の比較によって、彼の臨書態度の一端を解明する。
このほかに、林宏作「『甬上耆旧詩』編者考」(桃山学院大学総合研究所『国際文化論集』三九号)は、文献をもとに『甬上耆旧詩』の編者について検討し、うち『耆旧詩』と『耆旧伝』は書画も善くした文人である李嗣の手によるものであることを明らかにする。
清代では、王・翁方綱・阮元の書論研究について、以下が見られた。高橋佑太「王の漢碑観—明末および清初の書人との比較を通して—」(上掲『芸術学研究』一三号)は、王の著録をもとに彼の漢碑観について考察し、あわせて王と同時期に活躍した書人の漢碑観との比較を通じて、彼の漢隷から唐楷へという書流の意識に独自性を見出す。同「王書法理論の翁方綱への影響について—二者の比較を通して—」(上掲『書芸術研究』二号)は、標記二者の虞書や欧書に見る唐楷観、「礼器碑」観、主に筆法に関する篆書観を比較してそれらに多くの共通性を認め、碑学胎動期に活躍した王の先見性について論及する。菅野智明「翁方綱『化度寺碑考』の再検討—京都大学人文科学研究所蔵本を中心として—」(筑波大学芸術系『芸術研究報』二九号)は、該著の書誌的検討を行い、また、「化度寺碑銘筆法攷」部分を翻刻し、これと他の彼の著述との比較を通じて該著が翁方綱の大局的な書法史観を表明したものと指摘する。同「翁方綱の北碑観—兼ねて阮元説との関係に及ぶ—」(『中国近現代文化研究』一〇号)は、近時の朱友舟氏の見解を踏まえ、翁方綱の北碑論の特質及びその書学全体に占める位置について考察し、また、阮元との比較によって両者の書学の根本的な相違を明らかにする。草津祐介「阮元幕府と金石学研究」(上掲『大学書道研究』二号)は、清代「幕府」の学術上における意義について確認し、『山左金石志』『両浙金石志』『積古斎鐘鼎彝器款識』の編纂に「阮元幕府」の「幕友」の関与を指摘したものである。
乾隆帝の収蔵に関しては、菅野智明「乾隆帝の文物清玩と書の地平」(上掲『北京故宮書の名宝展』)が見られた。乾隆帝の文物清玩について収集事業及び彼の書斎である「三希堂」をもとに概述し、あわせて従来帖学期に含むことの多い乾隆期を碑帖両学の併存期として指摘している。
清代の伝世作品に関しては、以下が見られた。遠藤昌弘「新資料?石如尺牘「陳寄鶴書」二種について」(上掲『大東書道研究』一六号)は、従来知られていた「曽立本」に加え、新出の「雲南本」「四川本」の概要を述べ、筆跡および押印の状況から新出の両本を倣筆もしくは偽筆と推定するものである。志民和儀「呉譲之周辺の芸術家たち(続)—『収蔵品撰集1』補逸—」(『観峰館紀要』四号)は、呉譲之との関係が見られるという包誠・姚正?・真然・王素に関する伝記を確認した上で、観峰館収蔵の彼らの書画作品について書法、鑑蔵印などから考察したものである。
清末・民国期における書論研究については、以下が見られた。菅野智明「恵兆壬『集帖目』考—中国国家図書館蔵本を中心に—」(上掲『書法漢学研究』三号)は、該著の書誌や逓伝について検討し、各家の序・自序・凡例・目録部分を翻刻・公開し、その編纂意図や近代法帖著録との比較から史的位置の一端を解明したものである。同「《流沙墜簡》和海上書人」(上海市書法家協会編『海派書法国際研討会論文集』上海書画出版社)は、沈曽植から沙孟海に至る文献資料をもとに一九三〇年迄の主に上海における該著の鑑賞状況について概述し、該著が民国期における碑帖両学に与えた影響について指摘する。
清末の書法刊行物に関しては、菅野智明「清末における尺牘集の刊行」(上掲『書論』三六号)が見られた。「尺牘学」を提唱し、その史的視点から尺牘刊行物を手がかりに、刊行の編纂意図、刊行母体、資料提供者である鑑蔵家などについて考究し、標記の実態の一斑を解明する。
この他に現代中国を対象とするものに、鄭麗芸「修禊蘭亭傳韵事 于今山水有清音」(『椙山女学園大学研究論集』人文科学篇 四〇号)が見られた。紀年王羲之撰写《蘭亭集序》一千六百三十周年大会の席上で鄭氏が沈邁士氏より贈られた「海曙楼詩詞草」の書法及びその内容について、中国語で解説を施している。

三、日本書道史関連

(一)総記
前後する時代にわたるものとして、以下が見られた。石田肇『日本金石学・金石学史の基礎的研究 平成一六年度〜平成一九年度科学研究費補助金(基盤研究(C))研究成果報告書』は、標記課題に係る著者のこれまでの論考をまとめたもの。中国金石学の受容と展開という観点に基づいて、近世から近現代に至る碑・墓誌・梵鐘、また金石書について考察する。名児耶明「飯島春敬の眼」(『春敬の眼—珠玉の飯島春敬コレクション—』展図録、毎日新聞社・毎日書道会)は、日中の書から文房具に及ぶ春敬コレクションの概要をまとめ、そのうちの仮名古筆を中心に、平安時代から江戸時代に至るまでの書風の特徴や変遷について考察する。太田剛「善光寺界隈の書」(『書論』三六号)は、善光寺及びその周辺の歴史をたどるとともに、同地域に数多く見られる近世から近現代に至る名家の碑・看板・額等を紹介しながら、町と書の関係について論じる。
用筆法について、森常雄「中鋒用筆の日本における展開」(上掲『大学書道研究』二号)が見られた。従来の中鋒理解を整理・確認したうえで、同概念の成立について考察を加え、その日本への伝来と展開を跡付ける。あわせて、昭和初期における中鋒をめぐる論争・説を紹介する。
仮名について、高城弘一「『缶詰ラベル博物館』未載の缶詰食材」(『実践女子短期大学紀要』三〇号)が見られた。変体仮名使用の実例として缶詰ラベルに注目、斯界の台帳ともいうべき標記書に見られない食材を用いたものを、その影印とともに紹介・解説する。
書跡の修復について、高田智仁「「書跡」と修理のあり方に関する一考察—平家納経を中心として—」(上掲『書道学論集』六号)が見られた。江戸・明治・昭和の各時代の書跡修理の理念を概観したうえで、「平家納経」を事例に修理の実態を確認、あわせてその影響を考察するもの。今後の書跡修理のあり方を展望する。
(二)上古・上代
奈良時代の書について、大野修作「光明皇后『杜家立成』の原書写者は誰か—日本奈良朝書道の基本—」(『書法漢学研究』三号)が見られた。標記臨本の底本を、原著の著者・杜氏兄弟と遂良との関係から書写本と推定し、聖武天皇「雑集」等の検討とあわせて、当該期の中国書法受容におけるの影響を論じる。
(三)中古
空海について、以下が見られた。藤瀬礼子「『性霊集』にみる空海の書論について」(『了徳寺大学研究紀要』三号)は、空海の標記詩文集中の書に関する記述を取り上げて考察を加える。その漢文の素養を検討したうえで、弘仁三年以前と以後とに分けて、書に係る思想の変化と特質を論じる。金周會「空海書法観に対する一考察—『性霊集』を中心として—」(上掲『書道学論集』六号)も、空海の同詩文集を検討の対象とする。孫過庭『書譜』を中心に中国の書論書の記述と対照させながら、その鍾・張芝像等の諸論点について考察するものである。
古筆については、以下が見られた。古谷稔「「和」と「漢」を結ぶもの—「粘葉本和漢朗詠集」の世界—」(『書と文化』成田山新勝寺)は、中国文化の受容と日本文化の確立という視点から書道史や文学史の展開を跡づけ、標記古筆に、書・文学・美術の分野にまたがる和漢の融和を指摘する。笠嶋忠幸「平安時代の仮名古筆における表象性について」(『出光美術館研究紀要』一四号)は、書き手の表現意識、及び筆跡の近似性の判断における差異を認めたうえで、異文という現象に注目。異文発生箇所の分析を通して、そこに新たな表現意識の発露を指摘する。松本文子「香紙切一葉(三)—『麗花集』「はつかりの」の歌—」(鶴見大学日本文学会『国文鶴見』四三号)は、標記の新出断簡を紹介して、『麗花集』の配列を再考するとともに、その紙面構成等にも論及するもの。あわせて、当該断簡を含む、連続が推定される四葉の伝来をたどる。家入博徳「伝西行筆『山家心中集』書誌一考」(『汲古』五三号)は、標記写本の書写者を新たに一人指摘し、藤原俊成を含めて計五人と推定する。それぞれの分担区分を提示するとともに、俊成監督下における写本制作の工程にも考察を加える。玉手いづみ「『中御門大納言殿集』の研究」(大東文化大学書道学会『大東書学』九号)が対象とする冷泉家時雨亭文庫蔵の標記写本も、藤原俊成の筆跡を含む。三種に分類される書風を分析し、その影響関係を考察するもの。俊成の写本制作に対する態度にも論及する。
この他、笠嶋忠幸「『宇治拾遺物語』と「信貴山縁起絵巻」」(『国文学 解釈と鑑賞』七三巻一二号)が見られた。標記絵巻について、後世の詞書改変と宮廷周辺制作説を踏まえたうえで、準拠する説話集本文と対照させながら、絵画化における画面の取捨選択と工夫について考察する。
(四)中世
書流及び絵巻について、古谷稔「日本の書流と「家」—春日権現験記絵を中心に—」(『第二回東アジア三大学国際シンポジウム論文集 東アジアにおける「家」—伝統文化と現代社会—』大東文化大学)が見られた。藤原忠通以降の摂関家に着目し、標記絵巻の制作背景とその詞書に見られる法性寺流書法の検討を通して、日本書道史における書流と家の関わりについて考察するものである。
(五)近世
唐様について、以下が見られた。古谷稔「日本書道史から見た貫名菘翁の書」(『生誕二三〇年記念 貫名菘翁展〜阿波に伝わる菘翁の書画〜』図録、徳島県立文学書道館)は、菘翁の生涯を概観したうえで、その書を署名により整理・分類し、「菘翁」号の重要性を指摘する。生地・徳島伝来の書について詳説するとともに、菘翁の書の近代への影響を論じる。総論的なものとしては、鍋島稲子「唐様の書—その成立と展開—」(『沼尻墨僊—城下町の教育者』展図録、土浦市立博物館)が見られた。江戸時代における中国書法の受容を踏まえて、唐様の成立と展開を論じるものである。あわせて、茨城・土浦で私塾・天章堂を営んだ墨僊の学書やその書の位置付けについて考察を加える。
文人の書については、以下が見られた。鄭麗芸『文人逸脱の書 池大雅・江馬細香・三輪田米山』(あるむ)は、著者の近年の論考をもとにまとめたもので、総論と標記三人の各論からなる。中国書法の受容という観点から、三者三様の書風の形成過程とその心性を考察する。同「日中書道史から見た米山」(米山顕彰会監修『米山の魅力』清流出版)は、米山の生涯をたどり、愛媛・松山近郊の神社に多数見られる石文、また少字数書の表現に着目して、日中書道史における米山の位置付けを試みるもの。米山については他に、服部一啓「三輪田米山—書美の変遷と特質—」(上掲『米山の魅力』)が見られた。米山の書を五期に分けて、各期の特徴を論じながら、書風の変遷を跡付ける。あわせて、その書を培った学書法の特質について考察するものである。
古筆鑑定に関わるものとしては、以下が見られた。松本文子「おどけ玉晁—恒川了廬をよく知る男—」(上掲『国文鶴見』四三号)は、尾張藩儒・細野要斎とその友・小寺玉晁の筆録、及び周辺資料から、同藩古筆見であった了廬の閲歴を検証するもの。特に、玉晁と了廬の関係について詳論する。中村健太郎「有栖川宮家伝来・高松宮家旧蔵古筆手鑑『大手鑑』の鑑定について」(吉岡眞之・小川剛生編『禁裏本と古典学』塙書房)は、極札の検討から古筆了意の鑑定になることを指摘し、あわせて了意以前と推定される収録古筆の配列とその意図を考察する。標記手鑑の当初の制作時期と意義にも論及する。
書物・出版に関わるものとして、以下が見られた。岩坪充雄「「書の視座」による江戸史料の再考」(『江戸文学』三九号)は、毛筆筆記の時代における多様な書体・書風の意味を考察する。版本も含めて、字姿そのものが重視されていたことを指摘し、そうした価値観を踏まえて当該期の史料に接する必要を説く。同「「書の視座」と書物研究—和刻法帖の事情を中心に—」(『書物・出版と社会変容』五号)は、和刻法帖を事例に、その印刷法の種類と相違に言及しながら、江戸時代の人々における書の重要性を考察する。活字からは窺えない、字姿に着目した書物研究のあり方を提起する。
地域文化に関わるものとして、以下が見られた。太田剛「阿波の近世書道文化」(四国大学書道文化学会『書道文化』五号)は、近世の当該地域の時代背景と文化を概観したうえで、標記に関わる人々の閲歴を調査し、その関係・交流を考察するもの。徳島藩儒・新居水竹の「陰徳倉碑」拓本の影印を付す。また、教育については、川畑薫「豊前国上毛郡友枝手永四郎丸村の手習い手本について」(『観峰館紀要』四号)が見られた。観峰館蔵の標記手本十五点を、一部影印とともに紹介する。それぞれの概要を述べたうえで、四郎丸村における学習者や学習過程等について考察を加える。
この他、墨蹟については、丸山猶計「近世前期妙心寺派墨蹟の特色」(東京国立博物館他編『妙心寺』展図録、読売新聞社)が見られた。白隠登場前夜の愚堂東寔ら五人の高僧の墨蹟を取り上げて、同派に起こった正法復興運動を踏まえつつ、それぞれ禅風との関係からその書の特色を考察する。
書流については、小宮山碧「小野お通とお通流—系譜史料に見るお通流」(上掲『書芸術研究』二号)が見られた。標記書流に焦点をあてて書流系譜諸本を調査、その一つ「筆道流儀分」の成立年代について検討を加える。同流記載のものとして、新たに小野鵞堂『書法大意』を指摘する。
文字学に関するものとして、張莉「狩谷齋の『轉注説』について」(『書法漢学研究』四号)が見られた。標記書の検討から、斎の転注解釈について考察するもの。特に、その『説文解字』叙における後人混入説について検討を加える。斎説の歴史的意義にも論及する。
また、絵画史の領域にわたるものだが、笠嶋忠幸「傳土佐光信筆 源氏物語畫帖」(『國華』一三五八号)が見られた。中世から近世にかけて多数制作された源氏絵には、詞書を伴うものもあり、書道史上においても注目される。出光美術館蔵の標記帖について、図様や描法等の検討から制作年代を桃山時代と推定する。
(六)近現代
近代全般に関わるものとして、以下が見られた。鶴田一雄「「近代日本の書」展望」(『書21』三二号)は、幕末から明治時代にかけての、書道史上の著名な人物とその書について概観するもの。書の具体的な検討を通して、それぞれの人となりや思想について考察する。高橋利郎「近代日本書道史の輪郭」(成田山書道美術館編『日本の書 維新〜昭和初期』二玄社)は、書を取り巻く時代状況に着目して、鑑賞空間の変容、日中交流、出版、教育制度等の諸観点から、近代日本書道史を総説する。あわせて、今後の当該期の研究のあり方を展望する。同「「近代日本の書」への七つの視点」(『書21』三三号)は、「維新のエネルギー」他、時代や地域、文化等に関わる視点を具体的に示して、当該期の書の諸相について論じるものである。同「席書と書のすがた」(『読売書法会創立二十五周年 東京展記念企画展「東京ゆかりの先人たち」』図録、読売新聞社)は、制作・鑑賞の観点からの考察。書画会の時代の書と建碑や展覧会の盛行する時代の書、それぞれの特徴と相違を論じ、その間の推移を特に西川春洞の書風の変遷から窺う。また、同「大口周魚の書道史観と手鑑「月台」」(東京国立博物館研究誌『MUSEUM』六一三号)は、周魚の書道史観を、その編になる標記手鑑の古筆切の選択と配列、及び『書苑』誌での活動から考察するもので、近代における書道史学の形成についても論及する。
関連して、書画会については、菅野智明「《書画会の図》について—書道史の観点から」(『日本の文化政策とミュージアムの未来 ミュージアムの活用と未来—鑑賞行動の脱領域的研究 平成二十年度報告書』)が見られた。筑波大学五十殿研究室蔵の明治時代中期の標記図について、作者や図の性格等に検討を加える。図中に描かれる約二〇点の書の釈文・出典等を示した一覧を付す。
中林梧竹については、以下が見られた。日野俊顕「未完成の中林梧竹編『鄭道昭集字』—『楷法遡源』と『楷書古鑑』(二)—」(『書論』三六号)は、標記書について、楊守敬編『陽鄭氏碑』と対照させながら、余元眉将来の鄭碑拓本の籠字によるものであることを指摘する。あわせて、その配列、制作工程等にも論及する。同「中林梧竹と王羲之」(『中林梧竹展—梧竹が書いた王羲之—』図録、徳島県立文学書道館)は、梧竹にとって羲之は、目指し、越えようとした存在であることを指摘。両者の関わりを、『梧竹堂書話』や臨書、また潘存との逸話等により、多角的に検討・考察するものである。内村嘉秀「中林梧竹の書論—「無法而有法」の書法論—」(『国士館大学文学部人文学会紀要』四一号)は、『梧竹堂書話』に見られる「書法」に関する見解を整理し、その特質について考察するもの。総論ともいうべき、標記の一節を含む同書第一則の解釈を軸に詳論する。勝目浩司「中林梧竹の立ち書きと折り目に関する考察」(上掲『大学書道研究』二号)は、梧竹は起立して揮毫していたこと、またその作品に折り目のあることを確認し、章法を中心に、具体的な事例を示しながら両者の関係について考察する。同他「中林梧竹—生涯一書家を貫いた不屈の書家」(『読売書法会創立二十五周年 九州展記念企画展「九州ゆかりの先人四人展—梧竹・白秋・蒼海・仙?」』図録、読売新聞社)は、梧竹の生涯を追いながら、その学書と書風の変遷を論じるもの。特に五十歳代以降については、初公開のものを中心とする図録収録作に沿って考察を加える。
日下部鳴鶴については、以下が見られた。岡村鉄琴「日下部鳴鶴の書簡に現われた文人墨客としての実像」(『書論』三六号)は、新潟・旗野氏宛のものを中心に鳴鶴の書簡九通を紹介、その内容の検討を通して、標記実像の解明を試みる。『鳴鶴先生真書千字文』初搨本他、関連資料にも論及する。増田孝「日下部鳴鶴と贋作者」(『日本古書通信』九五一号)は、鳴鶴の同郷人・中島宗達宛の書簡を影印とともに紹介して、その在世当時にすでに贋作者のいたことを指摘する。鳴鶴及び贋作者、それぞれの書の価格にも言及する。香取潤哉「日下部鳴鶴書「板橋建学碑」の研究」(上掲『書道学論集』六号)は、台湾・板橋所在の標記碑の建碑の経緯、形式と内容、書風を考察するもの。特に書風については、「鄭羲下碑」「高貞碑」と対照させながら分析を加える。
関連して、富久和代「徳島ゆかりの日本画家 野口小蘋(一)日下部鳴鶴肖像・『一六遺稿』口絵を中心に」(徳島県立文学書道館研究紀要『水脈』八号)が見られた。女流南画家として知られる小蘋の描いた鳴鶴の肖像画二種と巌谷一六の標記書口絵、及び小蘋自身の書について解題を付しつつ、その業績を論じるものである。
次に、戦後に及ぶものとしては、まず総論に田宮文平「書展の歴史とその系譜」(『墨』一九二号)が見られた。書画会から展覧会への変容、書の日展参加と新聞社系公募展の誕生、国際的な評価、個展・グル—プ展による多様化等について論じながら、現代の書展の背景を総説する。同「20世紀一〇〇年の書の変貌」(『墨』一九四号)は、対象を標記一世紀に絞り、時代状況、制作方法論等の観点から、当該期の代表的な作品を取り上げてその軌跡をたどるもの。今後の書をめぐる思索の礎となす。
會津八一については、以下が見られた。鶴田一雄「會津八一の眼—東洋美術への憧憬—」(『會津八一が見たラストエンペラーの至宝— 京都・藤井有鄰館との出会い—』展図録、新潟市會津八一記念館)は、八一と有鄰館との関わりを起点に、その漢字書の内容や中国詩人に対する評価について論じるもの。唐詩とその翻案歌からなる作「印象」に、与謝蕪村の影響を指摘する。岡村浩「會津八一と西川寧の接点に窺う戦後書史」(上掲『大学書道研究』二号)は、主に早稲田大学會津八一記念博物館蔵の八一と西川の往復書簡により、西川の新潟個展から八一の日展参加をめぐる諸問題について、当時の書壇の動向とあわせて考察する。小川貴史「會津八一の書と金石学—篆書揮毫作を中心として—」(上掲『大学書道研究』二号)は、八一の中での篆書体の位置付けと、その書と金石資料との関係について考察を加える。あわせて、八一の金石学における観点についても論及する。
同時期の人物に関しては、高村光太郎について、矢野千載「高村光太郎の書—光太郎にとっての書とは—」(盛岡大学日本文学会『日本文学会誌』二一号)が見られた。光太郎の書の変遷をそれに対する評価とともにたどり、その書論や対談記録の検討から、書に対する考え方や光太郎における書とは何かを考察する。また、津金仙について、宮澤昇『鵞湖・津金仙 人と書』(木耳社)が見られた。著者のこれまでの論考をもとにまとめたもので、主に仙とその縁の人々の著述によりながら、生涯と書業について論じる。仙の語録、年譜、主宰の『書藝大観』誌細目を付す。
篆刻については、以下が見られた。河野隆編『平々凡々印譜』(晨風会出版局)は、日中の印人による標記同文印四十六種を収録。三村竹清企画集成の四十種、藤山鳴堂企画集成の六種の二期に分けて、その成立事情等を交えた総説を付す。神野雄二「日本印人研究—小曽根乾堂と星海」(『熊本大学教育学部紀要 人文科学』五七号)は、乾堂の嫡子・星海の事績を述べるとともに、乾堂の星海宛書簡五通を紹介する。あわせて、その内容の検討から、明治前期の社会情勢や小曽根家の動向を窺うもの。柿木原くみ「篆刻家・山田寒山とその母貞参尼」(『アジア遊学』一一二号)は、明治三十五年の毎日新聞連載記事や愛知・龍淵寺蔵の文書等の諸資料により、寒山の出生から貞参尼が没するまでに至る、その母子関係について考察するものである。小西憲一「『雕蟲』に見る昭和初期の印人評—「東都篆愚總掀リ」—」(『香川大学国文研究』三三号)は、標記誌に掲載された二十一名の印人評を、主に植松香城編『論語印集』によりながらそれぞれの作品印影とともに示し、業績や当時の書壇の動向等とあわせて検討する。大野修作「陶印篆刻家・北川蝠亭(三世)について」(『書法漢学研究』四号)は、蝠亭をめぐる、會津八一らによる朱泥印会や中国文人との交流を論じながら、その陶印や原始アルファベットによるスカラベ形印章を紹介。今後の新資料発掘を喚起する。
日中交流史に関わるものとしては、以下が見られた。中村史朗「「大河内文書」にみる中国文人の活動実態—その文芸思想と経済活動—」(『書法漢学研究』四号)は、標記文書から、衛鋳生ら来日した文人の動向とその文芸に対する意識を探り、日本における評価・受容を検討するもの。あわせて、同文書中の潤例についても考察を加える。弓野隆之「銭?筆・橋本関雪賛「白描観音像」をめぐって」(中谷伸生編著『東アジアの文人世界と野呂介石—中国・台湾・韓国・日本とポーランドからの考察—』関西大学東西学術研究所)は、ともに銭画・篆刻、関雪詩・書の合作になる、橋本関雪記念館蔵の標記画及び「墨梅図」を紹介。前者の制作背景の検討を通して、関雪をめぐる中国文人との交流に論及する。
また、収蔵家とその収蔵に関わるものとして、以下が見られた。杉村邦彦「正木直彦と『十三松堂観摩録』」(上掲『書道文化』五号)は、正木の人となりと、その愛蔵品・自筆解題の影印を収める標記書を紹介。自序と高陽山人「蘭亭集巻」他所収の数点に注解を加えるとともに、正木の書の魅力について説き及ぶ。鍋島稲子「中村不折の日清戦争従軍行—「書道博物館」の出発点」(『書21』三三号)は、不折の書道史研究の契機となった、明治二十八年四月の標記従軍から五ヶ月に及ぶ中国・朝鮮半島の巡遊について論じる。あわせて、その主要コレクションの蒐集年表を付す。川上貴子「中山森彦博士の生涯と仙?収集」(『中山森彦と仙?展』図録、九州大学附属図書館)は、九州大学名誉教授で美術品収集家としても知られる中山の生涯をたどるとともに、没後同大学に寄贈されたその仙?コレクションにまつわる逸話を紹介する。
関連にして、書の価格について、石井健「書画家番付に見る書の価格—「日本書畫評價一覽」を中心にして—」(『東京学芸大学紀要 芸術・スポーツ科学系』六〇集)が見られた。標記番付掲載の平安時代から大正時代までの書家八三三名を、価格・時代等により整理・分類し、大正五年の同番付刊行当時における書に対する好尚と需要について考察する。

四、書写書道教育関連

(一)目標・教育課程等
加藤祐司「『生きる力』をはぐくむ書道教育〔書道〕—〝書字過程〟の価値と意義—」(『中等教育資料』八六八号)は、「書字過程」の意義を再考し、「書字過程」を「自分づくり」「相手づくり」といった「人間関係力の形成」にかかわる構造で捉えることなどによって、「生きる力」を支える基本的な教育の考えの中にも書写・書道の価値や意義が見いだされる点を基調に、これからの書道教育の在り方について論述している。
青山浩之他「平仮名の字形構成要素の同一性と読みやすさへの指導—外国人学習者に対する文字指導を通して—」(『書写書道教育研究』二三号)は、外国人日本語学習者がディクテーション(聴写)した文字を分析し、平仮名の字形構成要素の同一性などを指摘した上で、伝えることを目的とする観点から、文字の質にも目を向けた日本語教育の文字指導のあり方について目標論的なパラダイムから論じている。外国人学習者の書字実態を把握している点で、学習者のカテゴリーとも関わっている。
(二)学習内容・教材等
小林比出代「明治期『習字』教科書(信濃教育会編)の構成と地域書写教育の在り方」(『書写書道教育研究』二三号)は、前年度の継続研究として、明治期に信濃教育会によって編集された三種の「習字」教科書(後期)の教材内容や配列等を比較した上で、当時の教科書全体の特徴を総括するとともに、長野県の教育雑誌における教授法に関する諸論考に拠りながら、明治期の地域書写教育の在り方を検証している。地域書写教育史研究であると同時に、書写教材研究のための基礎的な研究でもある。
押木秀樹他「書字における機能とその意識化による国語科書写指導—書字目的や文化的・社会的コードを中心として —」(『書写書道教育研究』二三号)は、書字における目的意識・相手意識の重要性を確認するとともに、書字行為とその受容をコミュニケーション的に捉え、書字の機能や共有されるコードの概念から、伝達モードへの配慮、コードを意識した文字の運用、社会性とコードなど、これまで不明確であった指導内容についての説明を試み、実践を通して学習活動のあり方を提示している。
松清秀一他「中学校書写教科書に見る行書入門期の指導方法—中学校第1学年書写教科書の比較—」(*『日本教育大学協会全国書道教育部門研究紀要』一三)は、中学校国語科書写の検定教科書を比較・検討し、行書学習の導入段階における動機付けや指導の工夫について整理している。
(三)学習指導法等
青山浩之他「文字列を書きまとめる能力と効果的な学習プロセスについて」(『書写書道教育研究』二三号)は、文字列を書きまとめる活動で最も課題の見られた「行の中心」について取り上げ、その改善にとって効果的な支援の在り方について述べている。特に中心が捉えにくく、文字列が蛇行する原因となりやすい平仮名の書字に注目し、学習者への調査から、平仮名の外形と中心の習得が文字列を書きまとめることに効果がある点、また、その習得過程で学習者の気づきや思考活動のプロセスを踏むことによって、より効果が上がる点を明らかにしている。
樋口咲子・津村幸恵他「『点画のつながり』と『筆圧』に注目した書写授業の改善—教員養成課程の学生と附属中学校の生徒を対象に —」(『書写書道教育研究』二三号)は、「点画のつながり」や「筆圧」を理解して書くことを目標とした楷書の授業実践を通して、小筆の使用、筆脈の書き込み、カーボン紙の利用、ワークシートの開発などによって見られた書写力の変化と意識の変化から、学習者が適切な書写リズムを習得するための授業の有効性を考察している。
齋木久美「空書を活用した筆順学習に関する一考察小学校教員養成課程での授業実践より」(*『日本教育大学協会全国書道教育部門研究紀要』一三)は、空書による漢字指導の方法を学ぶ演習を通して、教員養成課程の学生が効果的に筆順を習得した授業実践について考察し、報告している。
(四)学習者等
鈴木慶子他「視写と聴写に関する基礎調査(1)—意味理解及び書字習慣が文字質に及ぼす影響(中学校1年生の場合)—」(『書写書道教育研究』二三号)は、「文字を書く」活動の内実を探るために、著者が行っている一連の調査研究の一つであり、書写教育の内容及び教材の開発を目的として、学習者の実態から把握している。中学校一年生を対象に調査を行い、視写活動及び聴写活動における文字質と書字習慣の関連について分析・解釈を試みている。
(五)教師教育・教員養成等
加藤祐司・長野秀章「書写書道教育における授業改善に関する基礎研究—教員の指導力向上を目指して—」(*『日本教育大学協会全国書道教育部門研究紀要』一三)は、文部科学省の委託事業「わかる授業実現のための教員の教科指導力向上プログラム」経費の措置を受け、書写指導力向上特別委員会を組織し、書写・書道教育における授業改善について行った研究成果の報告(第一段階)である。質問紙による「書写の授業に関する調査」の結果をもとに、現状を分析し、課題を提言している。
なお、*を付したものは、発行年から言えば前年度のものであるが、本稿記述時期との関係から、平成二十年度の会員研究動向に含めることとした。

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